「ママと娼婦」と「コントラクト・キラー」

 

先月中頃から各地のミニシアター等で順次公開されている「ジャン・ユスターシュ映画祭」。

代表作といわれる「ママと娼婦」(La Maman et la putain 1973)を鑑賞してみました。

初見です。

jeaneustachefilmfes.jp

 

215分。

実質的には4時間近く劇場に拘束される映画です(途中休憩はありません)。

気力と体力が持つのかやや心配でしたけれど、杞憂に終わりました。

十分に「長い」と感じさせはするものの、不思議と「弛緩」する瞬間がない作品です。

 

2022年に4Kレストア化されています。

非常に美しいモノクロ映像と鮮烈なサウンドトラックが堪能できると思います。

1973年の制作ですからユスターシュ(Jean Eustache 1938-1981)は、あえてカラーでの撮影を選択しなかったと思われるのですが、結果的に70年代感というより60年代、5月革命の空気をいまだにどこか引きずっている主人公の心象風景をあらわすかのような色調効果が得られています。

 

その主人公アレクサンドルを演じているのがジャン=ピエール・レオー(Jean-Pierre Léaud 1944-)です。

ほぼ全編にわたって出ずっぱり。

しかも終始、口説いたり小難しい文句を発し続けていて、ワンショットで10分近くかかっているのではないかと思われる長い台詞も澱みなく繰り出していきます。

何か特別な事件が起こるわけでもないこの映画が、一瞬の弛緩もなく進行し、長く長く映像に没入させてくれる、その要因となっているのがジャン=ピエール・レオーの圧倒的な存在感です。

 

舞台となっているのはパリの中心部とみられます。

といっても名所が次々と登場するわけではなく、ドゥ・マゴとフロール、二つのカフェと、二人の女性、マリー(ベルナデット・ラフォン)とヴェロニカ(フランソワーズ・ルブラン)が暮らす狭い部屋がこの映画の世界、そのほぼ全てです。

たまに夜のセーヌ河畔やリヨン駅内のレストランなども登場しますが、たいてい、登場人物たちはカフェで飲み、タバコを吸い、マットレスの上でセックスしたりレコードを聞いたりダラダラしたり。

ほとんどこの繰り返し。

禁酒禁煙している人はみない方が良いかもしれません。

派手なアクションシーンも、スリリングな展開も全くありません。

それなのに、常に画面は張りつめた緊張感を維持していて、眼が離せなくなるのです。

とても特異に素晴らしい空気感とリズム感をもった映画です。

 


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ユスターシュは俳優たち、特にレオーの表情をとらえることに絶妙なテクニックを発揮しています。

アップを多用し、ときにはカメラを長時間正視させたりもしているのですが、全くといって良いほど作為性が感じられません。

それでいて当時30歳目前であったこの俳優のもつ独特の陰影と少しミステリアスな表情を抽出しきっています。

十分大人になっているのに、常に何かに不満を感じているような仕草と、いつまでも子供のように華奢な身体。

トリュフォーが軽妙に彼を仕立てた「アントワーヌ・ドワネル」とはまた違った、20歳代後半を迎えていたレオーの魅力が完璧主義的に計算されたカメラワークによって記録されています。

 

レオーの振る舞いが、ベルナデット・ラフォンによる力強く「外へ」と押し出す演技と、それとは対照的なフランソワーズ・ルブランの「内へ」と引き込む演技、その双方と火花を散らしあう中、おそらくユスターシュが溜め込んできた「言いたいこと」を全部書いたかのように仕上げられたシナリオが間断なく吐き出されていきます。

マリーのヒモとして暮らし、自宅すらもたないアレクサンドルは、「言葉」のもつ呪力によって女性たちと関係性を維持していくしか、存在を証明できない人間なのでしょう。

ほとんど酒とタバコと口説き文句だけでこんなに面白い映画つくってしまったジャン・ユスターシュの才能に慄然とします。

 

また、ユスターシュの「その後」を知ると、やや因縁めいた場面をもつ作品でもあります。

アレクサンドルの悪友が、車椅子を盗んで遊ぶシーン。

そして、かつて、ある友人がピストル自殺したと語られるエピソードがそれです。

周知の通り、ユスターシュはテラスから落ちて負傷してしまい、足が不自由なまま人生を送ることになってしまったことを悲観。

1981年11月、パリでピストル自殺しています。

ちょっと怖いくらい「予言」めいた映画です。

 


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さて、「ママと娼婦」で写しとられたジャン=ピエール・レオーの「その後」、1990年の彼を、これまたほぼ出ずっぱりの主役にもってきて制作された映画が、現在、アマゾンPrime Videoで見放題配信されています。

アキ・カウリスマキ(Aki Kaurismäki 1957-)監督による「コントラクト・キラー」(I Hired a Contract Killer 1990)です。

 

 

「ママと娼婦」の17年後、レオーは既に40歳代後半、立派な中年男です。

彼が演じる「コントラクト・キラー」の主人公、アンリ・ブーランジェはフランス人なのですが、イギリス水道局に勤務するいかにも冴えない事務員という設定。

15年勤めた水道局を民営化を理由にあっさりクビになってしまい、生きることが嫌になってコントラクト・キラー、つまり殺し屋を自分で雇って殺してもらおうというお話です。

 

「ママと娼婦」のアレクサンドルとこの映画のアンリは当然に全く関係ありませんが、見ようによっては、5月革命で夢破れた元学生活動家が、フランスでの居場所を失い、英国に渡ってこっそり公務員になっていた、と想像しながら観ることもできそうです。

「15年」というアンリにとっての水道局員時代が、ちょうど二つの映画世界を繋げてくれます。

なぜイギリスに来たのかと問われ「フランスで嫌われたから」と語るアンリのセリフにちょっと笑ってしまいました。

 


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カウリスマキもジャン=ピエール・レオーのアップを多用しています。

しかしこの監督は、ユスターシュのようにスタイリッシュに俳優たちの顔を切り取ることをしません。

レオーの顔に刻まれた皺、艶を失った皮膚やシミまで、容赦なく鮮明に映し出します。

極め付けは彼の「歯」。

隙間が目立つ下の前歯は実年齢以上にこの名優の「老い」を実感させます。

ある意味、残酷な映画です。

 

コントラクト・キラー」は、カウリスマキの「プロレタリアート三部作」や「フィンランド三部作」ほどの評価は得ていない、この監督にしては軽めのコメディ系映画です。

かといって「レニングラードカウボーイズ」2作ほどぶっ飛んだファンタジー喜劇でもありませんから、ちょっと中途半端な作品という印象を勝手にもっていました。

しかし、今回、「ママと娼婦」と連続するかたちで観て、レオーの存在感にたちまち圧倒されました。

肉体は老いたとしても、この人の「固定された部分」は全く変わらないのです。

カウリスマキの冷徹なカメラに照射され、もっといえば、この監督に写されたからこその「ジャン=ピエール・レオーの不変性」が、良くも悪くも「コントラクト・キラー」から強烈に伝わってきます。

 

なお、アマプラは9月に入って、突然、カウリスマキ作品を大量に見放題配信しています。

おかげで残暑が続いた寝苦しい夜、暇を持て余すことなく、時間が潰せました。

 

 

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