特別陳列
泉屋博古館の名宝ー住友春翠の愛でた祈りの造形ー
昨年末頃からリニューアル工事のため休館している鹿ヶ谷の泉屋博古館。
この機をとらえて同館の青銅器コレクションと仏教関連美術作品を奈良博で陳列してしまおうという企画です。
東新館のみでの展示と、規模的には「特別展」級ではなく「特別陳列」という扱いですが、鹿ヶ谷でも展示される機会が少ない仏画等が数多く出展されていて見応えは十分でした(なお、西新館では夏休みキッズ向け企画「フシギ!日本の神さまのびじゅつ」が並行して開催されています)。
泉屋博古館のコレクションを形成した第十五代住友吉左衛門友純(春翠 1865-1926)は実に幅広いアート趣味をもっていた人物で、その収集範囲は日本美術にとどまらず西洋近代絵画にもおよび、数寄者として手に入れた茶道関連の品々も銘品が揃っていることで知られています。
しかし住友春翠は他の著名な明治実業家コレクターたちと際立って違った趣向を有してもいました。
それが泉屋博古館を代表する一大コレクション、中国青銅器の収集です。
今回の奈良博出張企画では、鹿ヶ谷の青銅器展示室から選りすぐられた逸品が運ばれていて、春翠コレクションのハイライト展示ともいうべき内容に仕上がっています。
周知の通り、もともと住友家の家業は別子銅山の経営でした。
徳大寺家から住友家の養子となった春翠は当然にその「銅」に着目して青銅器に興味をもち始めたのであろうと想像してしまいがちです。
ところがこの人は、実はそうした使命感から青銅器の世界に入ったわけではないのです。
春翠がまず収集しはじめた青銅器は、「茶道具」として使うためのものでした。
この企画では彼が最初に入手した青銅器4品が展示されています。
いずれも装飾が抑制されたシンプルな気品が漂う作品です。
茶席において個性を主張しすぎない奥ゆかしさと滋味深い陰影に春翠は惹かれたのでしょう。
しかし次第にこのジャンル自体の魅力に目覚めてしまった春翠は大正期頃になると茶道とは関係なく「網羅的」に中国青銅器を収集する姿勢に転じます。
結果として殷から西周、東周と幅広い時代におけるあらゆる形態の青銅器によって大コレクションが形成されることになりました。
近年では一部の青銅器に対してCTスキャンによる調査も行われていて、その分析研究は中国にも影響を及ぼしているそうです。
会場には徽宗皇帝が編纂を命じて制作されたという古代青銅器の図譜『宣和博古図録』が参考展示されています(泉屋博古館ネーミングの由来にもなった書物です)。
住友春翠はこうした格式高いカタログを参考にしながら体系的に青銅器を収集していったのだそうです。
茶人としての春翠はあまり網羅的に銘物を集めることをせず、茶会に応じて品々を都度吟味し取り揃えていくことを好んだとされていますが、青銅器に関してはそうした洒脱な姿勢ではなく学術面をも意識していたということなのでしょう。
ただ、非常に珍しいフクロウのような形をした「鴟鴞尊」に代表されるように、体系的な収集方針の中にもどこかユニークに洗練されたスタイルの作品がみられます。
春翠という人のもっていたテイストはこうしたハイライト展において一層はっきり感じとることができるかもしれません。
なお奈良国立博物館にも有名な青銅器群「坂本コレクション」があり、旧本館(なら仏像館)に付属した建物で常時公開されています。
今回、泉屋博古館収蔵品とのコラボ展示はされていませんが、これを機会に両コレクションを見比べてみるのも面白いかもしれません。
「泉屋博古館の名宝」後半は主に仏教に関連した美術品が特集されています。
これが驚きの内容でした。
鎌倉から南北朝、室町時代あたりの仏画が中心なのですが、今まで鹿ヶ谷本館であまり展示される機会がなかった優品が多数紹介されています。
「文殊渡海図」はキリッとした少年風の容貌をした文殊菩薩が獅子にのる図像が描かれています。
一目みて醍醐寺が所蔵する国宝「文殊渡海図」を写した絵画であることがわかります。
醍醐寺の絵画は先日、大阪中之島美術館で開催されている「醍醐寺国宝展」の前期展示で鑑賞したばかりでしたので、一層強く印象に残りました。
ほとんど醍醐寺本と同じ図像なのですが、文殊菩薩の表情は少し形式化が見られ獅子も迫力よりユーモラスさの方が特徴的に現れているように感じます。
絵師の個性なのか様式の変化なのか、とても面白い展示でした。
キービジュアルとして採用されている「水月観音像」は以前、「楊柳観音図」と呼ばれていた作品で、wikipediaにもこの名で画像が掲載されています(下図)。
泉屋博古館の仏教絵画を代表する名品です(重要文化財)。
奈良博の余裕をもった展示スペースでたっぷり堪能することができました。
高麗の忠粛王10年、1323年に描かれたという落款が残る非常に貴重な朝鮮絵画です。
『泉屋博古館名品選99』(青幻舎刊)によると、この作品はもともと高野山の金剛三昧院に伝わっていたものなのだそうです。
明治期に造幣局のお雇い外国人ウィリアム・ガウランドが入手し、一度はイギリスに渡ってしまったのですが、後に日本に戻り古道具商経由で住友春翠が買い取ったという数奇な来歴をもっています。
1918(大正7)年、買い取ったばかりのこの絵画を春翠は、住友家の先代、義母でもあった登久の20年忌法要で使用したのだそうです。
さて、この企画で展示されている作品の大半が住友春翠の収集品で占められているのですが、例外的に彼の長男、住友寛一(1896-1956)が購入した作品も展示されています。
「阿弥陀如来坐像」がそれで、1933(昭和8)年、東京の野方に豪邸を構えていたという八橋徳次郎(1888-1972)から寛一が買い取ったという来歴をもっています。
鎌倉国宝館への寄託を経て、1972(昭和47)年からは奈良博に寄託され、2022年、美術院による修復が行われています。
「大治五年」(1130年)という墨書が像内に残ることから平安時代後期の制作であることが知られる彫像なのですが、定朝様の典雅さよりもどことなく質朴さが感じられる彫りのスタイルから京都中央ではなく周辺の仏師によるものではないかともいわれる仏像です。
住友寛一は明清絵画のコレクターとして知られていますけれども、なぜこの阿弥陀仏を買い取ったのか、事情はよくわからないようです。
像を入手したころ、父春翠はすでに世になく、ビジネスに興味を示さなかったために住友家の当主にはなれず廃嫡されていた寛一。
大磯で趣味三昧の日々をおくっていた彼の眼に、素朴なノミ跡が残るこの平安仏はどうみえていたのでしょうか。
こんな妄想する楽しみを与えてくれる彫像でした。
やや地味目な企画にもかかわらず予想よりも館内は賑わっていました。
といってもおそらく8割以上が海外からの観光客で、その比率は東京国立博物館本館より高いかもしれません。
灼熱の奈良公園内でここは彼らにとって格好の避暑スポットになっているらしく入場者が途切れることはありませんでした。
ただ混雑しているというレベルではありません。
なお写真撮影は全面的に禁止されています。
泉屋博古館は来年2025年の4月に再開するそうです。
とても好きなミュージアムなのでやや長めのクローズ期間に困っていたのですがこの奈良博出張展で溜飲が下がりました。
リニューアルオープンを楽しみにしています。