特別展「デ・キリコ展」
■2024年9月14日~12月8日
■神戸市立博物館
8月29日まで東京都美術館で開催されていたデ・キリコ展が神戸に巡回してきました。
三宮センター街には「形而上的なミューズたち」を配した巨大なアートワークがデコレーションされていて、不穏に気分を盛り上げてくれています。
上野展には出展されていた以下の3点が神戸展では割愛されていました。
「サラミのある静物」(カタログNo.19 トリノ市立近現代美術館蔵)
「哲学者と詩人」(No.26 ローマ国立近現代美術館蔵)
「貞淑な花嫁」(No.27 ローマ国立近現代美術館蔵)
わずかな点数ですから、展示スペースの問題というよりも貸出元との調整の関係で神戸での出展は見送られたのかもしれません。
残念ではありますが、この企画展に欠かせない重要作というわけではなさそうです。
10年ぶりとなる国内でのデ・キリコ回顧展なのだそうです。
たしかにちょうど10年前、2014年に岩手県立美術館、浜松市美術館、パナソニック汐留ミュージアムを会場として「ジョルジョ・デ・キリコ展」が開催されています(未鑑賞)。
この2014年展は、2011年にパリ市立近代美術館に寄贈されたイザベラ・デ・キリコ未亡人旧蔵のコレクションを中心として、100点を超える作品で構成されていたそうです。
余談ですが、このパリ市立近代美術館に寄贈されたデ・キリコ作品の中から、今年、東京国立近代美術館と大阪中之島美術館で開かれた「TRIO展」に、「慰めのアンティゴネ」が出張しています(現在はちょうど大阪のTRIO展で展示されているはずです)。
他方、今回の特別展はローマにある「ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団」のコレクションから数多くの作品が出展されています。
この財団コレクションもイザベラ未亡人の旧蔵品が主体なのですが、デ・キリコが生前暮らし、彼亡きあとはイザベラ・ファー未亡人が住み続けた居宅に残された作品がその多くを占めているそうです。
夫妻が最期まで手放さなかったデ・キリコ自作群ともいえそうです。
企画の監修を財団の学術委員会委員で、キエーティ・ペスカーラ大学の教授ファビオ・ベンツィ(Fabio Benzi) が担当、図録にも彼による「ジョルジョ・デ・キリコ 20世紀のアルゴナウテス」と題された長大な論考が掲載されています。
ローマの財団側が実質的に展示構成をほぼ決定したのでしょう。
都美と神戸市博は、主催に名を連ねる朝日新聞社と共に、専ら日本側における運営面に徹する格好となったようです。
非常によく練られた展示構成となっていました。
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888-1978) の画業をいくつかの時代に区分しつつも、「イタリア広場」や「マヌカン」といったモチーフ単位でまとめる等、この画家がたどった複雑な作風の変遷がわかりやすく紹介されています。
非常に驚いた作品が会場の冒頭近くに展示されていました。
「CHAPTER1 自画像・肖像画」と題されたコーナーに初期から1960年代作に至る、デ・キリコが描いた人物画が集められています。
一枚の肖像画に圧倒されました。
「17世紀の衣装をまとった公園での自画像」。
1959年、画家が70歳を超えてから描かれた縦154、横100センチの油彩画です。
ここには1920年代に彼が創出した「形而上絵画」のスタイルやこの画家を代表する「マヌカン」といった個性的なモチーフは全く感じとることができません。
描画のスタイルは、彼が身につけている衣装と同じくらい「古く」感じられます。
異様な存在感で堂々とポーズをとるデ・キリコは真っ赤なビロードの衣装に身を包んでいます。
「17世紀の衣装」とあるので彼がこうした格好をしていることは了解できるわけですが、背景に描かれた「公園」もとても現代とは思えません。
画面の左下には同じく17世紀人と見られる人物と馬が描かれ、公園の鉢植えもバロック的装飾で彩られているようです。
この絵を描くために、デ・キリコはわざわざローマ歌劇場から舞台衣装を借りてきたのだそうです。
繰り返しになりますが、1959年に描かれた作品です。
戦後、20世紀前衛芸術がすでに主流となって久しい時期にデ・キリコはコスプレまでしながら徹底的な復古スタイルでセルフ・ポートレイトを世に問うていることになります。
ファビオ・ベンツィは先述した論考の冒頭で、以下のようにデ・キリコについて述べています。
「世界の絶対的な相対性のなかでは、すでに隅々まで試み尽くされ彼のためには何ひとつ残されていない不毛の地を疲弊しながら進むよりも、過去に立ち戻ることこそがむしろ現代的で、前衛的であるのだ。」(図録P.156)
既に抽象画の巨匠たちが出揃い、ポロックがアクションペインティングを始めてからもそれなりの年月が過ぎた頃です。
「なんでもあり」の度合いが進行し「世界の絶対的な相対性」が極まりつつあった時代に、デ・キリコは「古典」に強烈に回帰することで反アヴァンギャルドとしての姿勢を明確にしたということなのでしょう。
でもその姿勢そのものが、ベンツィにいわせれば「前衛的」ということになるわけです。
そもそもアンドレ・ブルトン等のシュルレアリスムに先駆けて一連の「形而上絵画」を描きはじめたデ・キリコこそ20世紀前衛芸術における先駆者の一人でした。
しかし、その後彼は、一時、ルノワールに強く傾倒し、一目でこの印象派の巨匠を真似た筆致であることがわかる作品をたくさん発表しています。
デ・キリコは決して常に「前だけを向く」前衛の画家ではなかったのです。
この人には爽快に開き直ったある種の豪胆さがあるように感じられます。
そこが明らかに時代錯誤的珍作にしか見えないこの「自画像」に不気味な説得力を与えているのかもしれません。
彼は、美術史上の過去を直接的に取り入れるだけでなく、自らが編み出した「過去の作風」すらも、あっけらかんと何十年も経ってからリユースしています。
まるで自分自身の「形而上絵画」が既に「美術史」を形成しているとでも言わんばかりにです。
「17世紀の衣装をまとった公園での自画像」にみられるいかにも尊大なデ・キリコの表情は、もはやナルシシズムなどというレベルを超えていて、自分自身が「過去」に成り切りつつ、「現在」を睥睨しているかのようです。
当然にこうした姿勢は批評家やアーティストたちから猛烈な批判を浴びたわけで、たしかに中にはいかにも安直な既存モチーフの引用作も全くないとはいえないと思います。
しかし、その後に現れたポスト・モダンの動きを考えると、デ・キリコはその後期において、とても逆説的にではありますが、端的に「先」をみていたともいえるかもしれません。
あくまでも「反アヴァンギャルド人」として「アヴァンギャルド」に徹した後期のデ・キリコによる自画像の世界は、どこか森村泰昌の写真と共通する部分があるようにも感じられます。
1959年の「自画像」はデ・キリコというアーティストのもつ底知れない複雑さと強烈な自意識を感じさせる一枚として、今回、特に強く印象に残りました。
なおこの特別展では、「形而上的なミューズたち」と共にキービジュアルに採用されている「予言者」をはじめ、9作品について写真撮影OKとなっています。
平日の午後、混雑はなく快適に鑑賞することができました。